ウエディング
2016年 10月 25日
ここ数週間でいろんな出来事がおきた。
数年前から米作りをやめると言っていた父が今年の稲刈りで本当に最後にした。
とくに出荷するほど作ってはいなかった。
家族たちで食べれるぐらいの米を作っていたが、終わりにした。
昔ははせ掛けで稲を乾かし、脱穀をして、するすをしての作業だったが
今はコンバインで稲刈りから脱穀まで行ってしまう
それも今年で終わる
米は私が生まれた時から父が作っていた
子どもの頃から米は作るものとい感覚がある
田植え、稲刈り、脱穀の作業は昔は身内の方々が大勢集まり作業をした
大きなお祭りの様な感覚が小さいころはあった
来年から米を買って食べる事になる
父はどう感じるのだろうか
先日、77歳の母が倒れた。
2週間が過ぎたがまだ意識がもどっていない。
3年前に心臓の手術をするまでは、70年以上病気らしい病気などしたことがなかった。
8時間を超える手術に耐え自宅に戻った。
あれから無理が出来ない体になった
病院に何度連れて行っただろうか。
今年は目も患い手術をした
でもあの大きな手術を乗り越えたのだ、まだまだ元気でいてくれるだろうと・・・
ここ数か月血圧が高い状態が続き、時々めまいも起きていたので私も本人も注意をしていた
倒れた日は私も母と一緒に昼食を食べた
食べながらあと2週間後に控えた私の長女の結婚式の話しをした
結婚式当日は着物を着ていくと私に話した。
心臓の手術をしているので帯は緩めにして自分で着ていくと
その前日は美容室で白髪染めをして髪も黒くなっていた
「本当に結婚式行けるかな」
私に会うたびに何度も口にしていた
「行けるに決まってるよ 大丈夫だって」
私に尋ねるたびに、母にこうこたえた
結婚式まであと2週間
おばあちゃんが倒れたと長女に伝えた
お見舞いに行ったとき娘は泣いた
結婚式の前撮りの写真は出来ていたが、結婚式当日に見せようと
おばあちゃんには黙っていた。
こうなることがわかっていたら見せておきたかっただろう・・娘は泣いた
娘にはどんなことがあろうとも、結婚式は必ずやると伝えた
最高の、思い出に残る結婚式に
10月23日(日)は長女の結婚式
両家の本当に身内だけで小さな結婚式を行った
秋晴れのなか、私も初めてのモーニングに身を包み新婦の父としてバージンロードを娘と歩いた
とても新鮮だった
母にこの娘の姿を見せたかった
それを思うと胸が熱くなった
式当日の朝も5時には目を覚ました
妻も次女も早い時間に目を覚まし3人で仕度をし式場へ向かった
披露宴も華やかに行われた
式場のスタッフの心配りも嬉しかった
私には娘が二人いる
長女は24歳、次女は20歳
ここまで反抗期らいし事もなくこの日を迎えてくれた
長女は小さいころ、夜泣きが酷かった
夜泣き止まないときは妻と二人で車に乗せてしばらく走って寝かせた。
布団へゆっくりとおろすとまた泣き始めた。。。
旅行のホテルでも夜は交代で抱っこして徹夜で寝かせた。。。懐かしい
あまりにも夜泣きが酷いのでお祓いや魔除けまで買ったことを覚えている(笑)
小さい頃は怪我も多かった
保育所で爪がはがれて病院から呼び出しがあり行くと大きな声で泣いていた
走って転んで頬に擦り傷を作ったり、回転遊具で飛んで顎を地面に打ち付け、口の中を切ったり
長女は小さい頃、虫が好きだった
何処へ行っても下ばかり見ていた
カエルを拾って来たり、虫を捕まえたり
中学の時、軽いいじめにあった
登校拒否などはしなかった
気持ちの優しい娘は恨んだりはしなかった
いい友達もたくさん出来た
部活は吹奏楽部でアンサンブルコンテストで東北大会で金賞(ダメ金)を取った
高校の合格発表は娘と二人で見に行った
娘の番号があった時二人で泣いた
高校は3年間寒い日も電車と自転車で通った
高校を卒業し就職した
就職した当時はいろいろと悩んだこともあり、辞めたいと口にしたこともあったが
今も辞めないで仕事を頑張っている
私は長女が小さい頃、朝会社に行くのが大変だった
行くとき、毎日のように泣かれた
会社に行くときは、毎日隠れるようにして行っていた。。懐かしい
彼と籍を入れたのは今年の3月3日、5月に家を出てアパートで暮らし始めた
それまで家族は同じ部屋で4人、一緒に寝ていた
家を出てから4か月が過ぎて、さびしく感じることも少なくなった
10月23日結婚式をむかえた
教会の扉が開き、数メートル先にいる新郎まで娘と腕を組んでゆっくりと歩んだ
一歩、一歩
昔を思い出しながら娘と歩いた
既に家を出て暮らしているが、急に寂しさがこみあげてきた
バージンロードを歩く一歩一歩は、花嫁が生まれた日から今日までの道のりを表している
そして娘を新郎の元へ送り出した
これから娘にとって新しい一歩が始まる。。。涙をこらえた
「結婚おめでとう」
「これからの娘をよろしく、私たちの代わりに幸せにしてあげてください」
たくさんの人に支えられて今日まで来ましたね
その感謝を忘れずにこれからも二人で歩んでください
教会での挙式が終わり、ブーケトスは妹が取った(笑)
次は次女か(笑) 勘弁してよ~~
披露宴もいくつかのイベントがあり楽しい時間だった
スクリーンで七五三の時の写真が映し出された
母がまだ元気なころの姿がそこにあった。。
胸がまた熱くなった。。。。泣くまい
母ちゃん、無事娘の結婚式終わりました
結婚式が終わって病院で母に報告した
早く元気になってください
みんなで式の写真を見ましょう
とくに出荷するほど作ってはいなかった。
家族たちで食べれるぐらいの米を作っていたが、終わりにした。
昔ははせ掛けで稲を乾かし、脱穀をして、するすをしての作業だったが
今はコンバインで稲刈りから脱穀まで行ってしまう
それも今年で終わる
子どもの頃から米は作るものとい感覚がある
田植え、稲刈り、脱穀の作業は昔は身内の方々が大勢集まり作業をした
大きなお祭りの様な感覚が小さいころはあった
父はどう感じるのだろうか
先日、77歳の母が倒れた。
2週間が過ぎたがまだ意識がもどっていない。
3年前に心臓の手術をするまでは、70年以上病気らしい病気などしたことがなかった。
8時間を超える手術に耐え自宅に戻った。
あれから無理が出来ない体になった
病院に何度連れて行っただろうか。
今年は目も患い手術をした
でもあの大きな手術を乗り越えたのだ、まだまだ元気でいてくれるだろうと・・・
ここ数か月血圧が高い状態が続き、時々めまいも起きていたので私も本人も注意をしていた
倒れた日は私も母と一緒に昼食を食べた
食べながらあと2週間後に控えた私の長女の結婚式の話しをした
結婚式当日は着物を着ていくと私に話した。
心臓の手術をしているので帯は緩めにして自分で着ていくと
その前日は美容室で白髪染めをして髪も黒くなっていた
「本当に結婚式行けるかな」
私に会うたびに何度も口にしていた
「行けるに決まってるよ 大丈夫だって」
私に尋ねるたびに、母にこうこたえた
おばあちゃんが倒れたと長女に伝えた
お見舞いに行ったとき娘は泣いた
結婚式の前撮りの写真は出来ていたが、結婚式当日に見せようと
おばあちゃんには黙っていた。
こうなることがわかっていたら見せておきたかっただろう・・娘は泣いた
娘にはどんなことがあろうとも、結婚式は必ずやると伝えた
最高の、思い出に残る結婚式に
両家の本当に身内だけで小さな結婚式を行った
秋晴れのなか、私も初めてのモーニングに身を包み新婦の父としてバージンロードを娘と歩いた
とても新鮮だった
それを思うと胸が熱くなった
式当日の朝も5時には目を覚ました
妻も次女も早い時間に目を覚まし3人で仕度をし式場へ向かった
披露宴も華やかに行われた
式場のスタッフの心配りも嬉しかった
私には娘が二人いる
長女は24歳、次女は20歳
ここまで反抗期らいし事もなくこの日を迎えてくれた
長女は小さいころ、夜泣きが酷かった
夜泣き止まないときは妻と二人で車に乗せてしばらく走って寝かせた。
布団へゆっくりとおろすとまた泣き始めた。。。
旅行のホテルでも夜は交代で抱っこして徹夜で寝かせた。。。懐かしい
あまりにも夜泣きが酷いのでお祓いや魔除けまで買ったことを覚えている(笑)
保育所で爪がはがれて病院から呼び出しがあり行くと大きな声で泣いていた
走って転んで頬に擦り傷を作ったり、回転遊具で飛んで顎を地面に打ち付け、口の中を切ったり
長女は小さい頃、虫が好きだった
何処へ行っても下ばかり見ていた
カエルを拾って来たり、虫を捕まえたり
中学の時、軽いいじめにあった
登校拒否などはしなかった
気持ちの優しい娘は恨んだりはしなかった
いい友達もたくさん出来た
部活は吹奏楽部でアンサンブルコンテストで東北大会で金賞(ダメ金)を取った
高校の合格発表は娘と二人で見に行った
娘の番号があった時二人で泣いた
高校は3年間寒い日も電車と自転車で通った
就職した当時はいろいろと悩んだこともあり、辞めたいと口にしたこともあったが
今も辞めないで仕事を頑張っている
私は長女が小さい頃、朝会社に行くのが大変だった
行くとき、毎日のように泣かれた
会社に行くときは、毎日隠れるようにして行っていた。。懐かしい
それまで家族は同じ部屋で4人、一緒に寝ていた
家を出てから4か月が過ぎて、さびしく感じることも少なくなった
10月23日結婚式をむかえた
教会の扉が開き、数メートル先にいる新郎まで娘と腕を組んでゆっくりと歩んだ
一歩、一歩
昔を思い出しながら娘と歩いた
バージンロードを歩く一歩一歩は、花嫁が生まれた日から今日までの道のりを表している
そして娘を新郎の元へ送り出した
これから娘にとって新しい一歩が始まる。。。涙をこらえた
「結婚おめでとう」
「これからの娘をよろしく、私たちの代わりに幸せにしてあげてください」
その感謝を忘れずにこれからも二人で歩んでください
次は次女か(笑) 勘弁してよ~~
披露宴もいくつかのイベントがあり楽しい時間だった
スクリーンで七五三の時の写真が映し出された
母がまだ元気なころの姿がそこにあった。。
胸がまた熱くなった。。。。泣くまい
結婚式が終わって病院で母に報告した
早く元気になってください
みんなで式の写真を見ましょう
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いけじ
at 2016-10-28 19:20
x
おつとめお疲れ様でした。おめでとうございます。
今頃は寂しい夜を過ごされていることでしょうね。娘さん、当たり前ですが、奥さんにそっくりですね(笑)
色々大変なときですが、また顔見せてください。
まだTOYO見てませんから(;^ω^)
今頃は寂しい夜を過ごされていることでしょうね。娘さん、当たり前ですが、奥さんにそっくりですね(笑)
色々大変なときですが、また顔見せてください。
まだTOYO見てませんから(;^ω^)
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koji_sagara at 2016-10-29 23:23
いけじさん
ありがとうございます。
思い出に残る結婚式が出来ました。
今日はうちで旦那も呼んで鍋をして過ごしました。
母の容態はまだ良くありませんが、少しずつでも回復してくれることを祈っています。
東洋フレームもまだお披露目してないので早くしたいですね。
ありがとうございます。
思い出に残る結婚式が出来ました。
今日はうちで旦那も呼んで鍋をして過ごしました。
母の容態はまだ良くありませんが、少しずつでも回復してくれることを祈っています。
東洋フレームもまだお披露目してないので早くしたいですね。
by koji_sagara
| 2016-10-25 21:18
| 人生
|
Comments(2)