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震災から一年

この週末も福島は雪が降りました。
ここ4週間ぐらいは週末に雪が降っては溶けての繰り返しが続いています。
三寒四温、少しずつ福島にも春が近づいています。
一年前の今日も寒い一日だった。
天気予報は午後から雪マークだったのでジテツウは止めて車での出勤をしたのを覚えています。
あの日、乗ってたら自転車は大破していた事だろう・・・・
地震が起きて社員全員が外へ避難、雪が降る寒い中で一時間以上家族との連絡も取れないまま、余震に怯えながら不安な時間を過ごしていました。

なんとか自宅に帰る事が出来て嫁と次女も無事、福島市に研修に行っていた長女とは夜になってようやく連絡が取れ無事を確認してホッとした。
テレビで見たあの津波の脅威、家や車、船まで流される画面に言葉が出ず、とめどとなく涙が流れた。
なんともいえない脱力感が自分を襲った。
日がたつにつれ事態の重大さが増し、消息がつかめない人々の数は想像をはるかにこえていた。

福島はそれに追い打ちをかけて原発事故が発生しメルトダウン、水素爆発、周りの住民は避難を余儀なくされた。
原発事故はだたの事故じゃない。
当時政府が発する言葉を素直に信じる事が出来なかった(今でもそうだが)
真実を伝えようとするのではなく、伝えまいと苦心している言葉遣いに腹が立った。
政府はありのままの事実をそのまま明らかにした方がいい、国民、福島県民が動揺するのを恐れて真実を伝えないのは我々を愚民扱いすることだ。
「想定内」、「想定外」とはなんだろう。
自然災害はすべて想定をはるかに超えて起こるものだ。
その言葉自体私は違和感を覚える。

自衛隊が瓦礫の中の生存者を救出、遺体を見つけ出している賢明な姿を見て自分の今の力のなさに悔しくて悔しくて、また泣いていた。
あの時ほど自分が自衛隊を辞めずにいたらどれだけ力になれたかと・・・

あれから一年。
日本は、被災地は、福島は自分はどう変わったか。
あの時は日本が一つになっていた。
聞くことが少なくなったが「絆」。
それがあの時は強く感じていた。
瓦礫を受け入れない、雪を受け入れない、花火を上げさせない。
もう一度あの時の言葉を思い出してほしい。

あれから一年。
少しずつ自分も震災前の生活を取り戻している・・・
「震災前の生活を取り戻しただけでいいのだろうか・・・」いつも私は自分に問いかけています。
誰かが言いました。この震災は第二の敗戦だと。
国と国との戦いに負けたのではない、違うものに負けた敗戦だ。
これからも発展と成長を永久的に続けていこうとしているのか。
少し昔に戻ってもそれ相応の人の営みでも良いのではないでしょうか。

放射能汚染の影響が私たちの将来にどれだけ影響が出るのか誰もわからない、見えない不安を一生背負い込んで生きていくことになります。
それが運命ならそれも良い、国はその不安を少しでも取り除く努力をしてほしいと心から望みます。

私は家も仕事も家族もすべて無事でした。
沿岸部の人たちと私のような内陸部の人たち。
同じ被災者でも温度差があるのはわかります。。。仕方がない事。
震災後一時期(今はわからないが・・)、福島の飲み屋、パチンコ屋が繁盛していたと聞きました。
やるせない気持ちをぶつける為に仕方のない事だったのでしょう。
残念ながら私にはその被災者たちの気持ちはわかりません。

少しずつ前向きに生きていってもらいたいと心から願うばかりです。
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先日、鶴岡出張がありました。
昨年震災後のLEGON合力リレーで知り合った宮城のみっささんと久しぶりに会えた。
今年の3月で宮城での勤務を終え故郷に戻るのでなんとかもう一度会いたいと思っていたので嬉しかった。
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仙台の居酒屋で二人で沢山話をした、自転車の話し、震災の話し。
震災は悪い事だけじゃなかった、新しい出会いも沢山あった。
被災地での勤務本当にお疲れ様でした。
また一緒にツーリングできる日を楽しみに、もっと鍛えておきます・・・・w
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居酒屋で石巻の地酒「日高見」を飲んだ。
震災で蔵が壊れ造り酒屋をあきらめかけていたがこの酒の力によって立ち直る事が出来たという。
喉に、そして私の心に沁みわたる味だった・・・・
これが自分の出来る事なんだ。
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もうすぐ春。
今年はツーリングをたくさんしていい思い出を作りたい。
みんなにとってこの一年はどんな年でしたか・・・
by koji_sagara | 2012-03-11 00:51 | 震災 | Comments(0)