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東日本大震災の記憶

自分が生きている間にこの様な惨事を経験するとは、今でも信じられない気持ちです。

忘れないうちにあの日の出来事を記録しておきます。
3月11日(金)
3月11日(金)PM2:46頃、東日本を襲った地震、マグニチュード9.0と世界的にみても3番目の巨大地震が発生しました。
当日私は、会社で仕事をしていました。
工場が本社工場(第一工場)、第二工場(TSK本社工場)、東工場(TSK)と3つあります。
私はその時間東工場で作業をしていました。
その日、キーパンチャーが休暇をとり休みだったので空いた時間に作業日報の入力作業をしていました。
急に携帯の地震緊急速報(アラーム)がなり2~3秒後に大きな揺れがありました。
直ぐにおさまると思いパソコンを抑えていましたが一向に揺れが収まらず大きくなるばかり、天井から埃が落ち、事務所のドアが外れかけてきたのであわてて事務所から非難し現場の通路にいったんでました。
通路の床に罅が入りはじめました。
東工場の従業員はほとんど外へ避難して工場を見ていました。
私は再度事務所へ入り電気ストーブがついているのに気づいて消してから外へ避難しました。
殆ど立っている事ができず金網につかまって揺れがおさまるのを見守っていました。
揺れがどれぐらい続いたのか良く時間はわかりませんが長かった。
揺れがおさまったのであわてて本社工場の事務所へ行きました。
本社工場の従業員は全員事務所前の広場に避難してけが人はなかったようです。
その後も何度か余震が続きなかなか事務所へ戻れず全員寒い中避難していました。
自宅が心配だったので携帯で電話するが繋がらない、下の子が一人でいたので心配でした。
1時間過ぎて余震は続くものの現状を把握するために各自仕事場へ戻って行きました。
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電算室はガラスが割れ、棚関係は倒れ本やファイルが散乱、机のパソコンも床に落ちたり歩く隙間もないくらい散乱していました。
マシン室のホストコンピューターはかなり動いていたが、地震対策をしていたため倒れてはいませんでした。
サーバーラックも倒れずに済んでいました。
ラック以外のサーバーは数台倒れていました。
棚の備品はすべて床に落ち、用紙を収めていた棚も倒れ帳票が散乱、フロアー(事務所)の天井に設置していたエアコンの数台が剥がれ落ちケーブル一本でぶら下がって危険な状態。
倉庫の1トンの金庫もズレて危険な状態なので立ち入り禁止です。
食堂へ行くと廊下が水浸し、トイレも使える状態ではなかった。
まずはホスト、サーバー関係の動作確認をしました。
ある程度床に散乱した物を横にどかし、ホスト、サーバーを安全な状態に戻しました。
ホストコンピューターとサーバーが稼働中に避難したため、まだ電源が入っている機器は一旦シャットダウンして再起動し動作確認。
ホストは異常がありませんでした。
サーバー2台の電源があがりません。
ネットワークやパソコン、その他の機器については現在のところ確認をしている余裕がありませんでした。
工場長の指示で今日は全員帰宅せよとの連絡があり、私は東工場が心配だったので帰宅する前に東工場の現状を確認しました。
3階の昔電算室で使用していた部屋は壁、ガラスが全て壊れて、廃却するパソコン、プリンターなどが瓦礫の下でした。
設置していたネットワーク機器も瓦礫の下でしたがラックに入っていたため破損はありませんでした。
この部屋に何時もロードバイクで通勤した時は自転車を入れていたので、今日乗ってきたら多分壊れていたでしょう、本当に良かったです。
東工場の事務所は天井が落ち、食堂の巨大なエアコンも天井から落ち、古い書庫もひどい有様。
3工場のうち東工場が一番被害が酷かったです。
3階で作業していなくて良かったと思いました。
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東工場を確認して自宅へ帰宅途中、道路が何箇所か陥没があり迂回して1時間かけてようやく自宅にたどり着きました。
妻は自宅から会社が近いので既に戻っていました。
家の中は台所の食器棚は倒れ中の食器はすべて床に散乱し、食器棚のガラスも一部割れていました。
茶の間の縦型のラックも倒れ物が散乱。
テレビを載せていたコーナーボートは事前にボードの下に滑りやすいように器具を取り付けていたのが幸いして倒れていません。
買ったばかりのテレビも無事でした。
二階のタンス部屋のタンスはすべて前に倒れ壁を少し壊していました。
鏡台は壊れていました。
子供部屋の本棚は倒れ本が散乱、私のコレクションのDVD,ブルーレイを収納していたラックもすべて倒れ500枚のソフトが散乱。
映画のパンフレッドを入れていた本棚からパンフレッドが全て床に落ちていました。

上の娘は今日福島市で会社研修がありその最中に地震に遭遇しました。
なかなか連絡が取れず心配していましたが、メールで無事を確認、5時間かけて自宅に到着しました。

片付けは台所の壊れた食器を先に片付け、茶の間を片付けて取り合える寝る場所を確保しました。
子供たちも片付けを手伝っていましたが、先に就寝させて妻と二階を片付けました。
片付けが終わったのは夜中の12時を回っていました。
余震が続く中今日からしばらくは一階で寝る事にしました。

3月12日(土)
今日は自転車(クロス)で出勤しました。
どうしても自宅の片付けが終わらない社員は出社していない模様です。
各職場で被害状況を確認しました。
3工場のネットワークは何とか無事なのでホッとしました。
電源が入らなかったサーバーも稼働確認して問題なし、一台異音がするので後日CEに連絡しメンテ依頼予定。
第二工場は比較的被害が少ない模様です。
これだけ近くにある工場なのに被害の大きさが全て異なっています。
地盤や建物の構造などて差が出たのでしょうか。
お昼は総務課がパンとおにぎりを調達して済ませました。
今日は3時で終了、今後の対応は明日連絡するとの事です。
結局3月20日(日)まで自宅待機となりました。
製造ラインがまだ復旧していないのでしょう、保全・技術と製造の一部社員で復旧作業をしていると思います。

3月13日(日)
自宅の後片付けもひと段落したので、午後からクロスバイクに乗って近所と隣町の須賀川の被害状況を見てきました。
全体的に瓦屋根の家屋の被害が多かった。
道路は至る所で陥没、罅が入っていて通行止めや片側通行が多数あり。
私の住む鏡石町駅前通りも大きな被害がありました。
歩道のマンホール部分が飛び出したのか、周りが陥没したのか、マンホールがあがっていました。
至る所でその現象が見られます。
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全壊した家もありました。
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隣町の須賀川も震度6強の揺れで大きな被害が出ています。
須賀川の街中通りの綺麗な歩道もブロックが盛り上がりバラバラです。
やはり古い家屋は全壊、半壊がありました。
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ガソリンスタンドは長蛇の列、締めているお店もあります。
近所の方々もガソリンがないと嘆いています。
この日もたびたび余震が続き熟睡できませんでした。
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津波によって家族や家を失った被災者に比べたら私は本当に恵まれています。
家族も無事、家もある食料も水も確保できるのですから。

昨年、宮城メンバーと走った仙台から奥松島のあの風景は今どうなっているのでしょう。
一緒に走ったオカノボリさん、さと☆ヒロさん ご無事でしょうか。
アクセスが3日以上ないので心配です。
またあの奥松島の美しい風景を走りたい。
私は多賀城に4年、仙台に1年住んでいました。
第二の故郷と思っています、早く復旧、復興して頂きたい。
私も少しでも力になりたいと思っています。

是非、LEGONメンバーと復興ツーリングをしてみんなで笑いながら走りたいと思う。
その日が早く来てほしい。
by koji_sagara | 2011-03-16 15:29 | 震災 | Comments(0)