カテゴリ:震災( 8 )

灯火の集い

駅前で「灯の集い」が開かれた。
震災から今日で5年が経過した。
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5年前、長女は新入社員研修で福島市で震災にあった。

次女は当時中学3年生、自宅で震災にあい、泣きながら外へ避難した。

あの日と同じ、今日は小雪が舞う寒い一日だった。
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あれから5年

3年前の2013年に自転車仲間と仙台ー塩釜ー松島ー石巻ー女川を走った。
今年同じコースを走ろうと思っています。
震災からの再建の始まりを自分なりに目撃することが出来た。
また走って復旧、復興がどう進んでいるのか目に焼き付けてきたい。

何も出来ない、ただ走るだけだが、一人のサイクリストとして
そこで自転車に乗ることの意味をこれからもつないで行きたいと思う。


by koji_sagara | 2016-03-11 23:26 | 震災 | Comments(0)

福島元気です!!

生まれも育ちも福島。

福島の山々が好きです。

福島の海が好きです。

自転車で麓から浄土平を目指して走る。

登り切った時の達成感。。

昨年は磐梯山に初登山をした。

いわきの海も何度も走った。

福島は負のブランドじゃまったくないです。

私は福島に生まれて、育ち、これからもここ福島で自転車を乗り、仕事をして、元気に生きていきます。

福島に住んでいてHAPPYです!!

これを見れはHAPPYになれます。



by koji_sagara | 2014-06-02 21:57 | 震災 | Comments(2)

みちのくSLギャラクシー

東日本大震災から3年となる、2014年3月。
某テレビ局が東北地方の復興への思いを乗せた、特別列車「みちのくSLギャラクシー」で東北被災三県を縦断、東京まで走り抜く。
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その「みちのくSLギャラクシー」が自宅近くの東北本線を通るので写真におさめてきました。
早いもので震災からもうすぐ3年が経過します。
復興も進んでいる、しかし福島は原発事故の問題が大きく圧し掛かっている。
廃炉にはあとどれぐらい時間を要するのか。
決して忘れていはいけない東日本大震災。
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今日は初めてSLが見れると思いましたが、SLは線路を走るための施設が駅に必要とのこと。。。
残念ながらSLは見ることが出来なかったが客車を写真におさめることが出来ました。
テレビで見ましたがレトロな内装でとても素敵でした。
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被災地三県の思いを乗せて上野駅まで走ります。

by koji_sagara | 2014-03-08 11:14 | 震災 | Comments(0)

震災から一年

この週末も福島は雪が降りました。
ここ4週間ぐらいは週末に雪が降っては溶けての繰り返しが続いています。
三寒四温、少しずつ福島にも春が近づいています。
一年前の今日も寒い一日だった。
天気予報は午後から雪マークだったのでジテツウは止めて車での出勤をしたのを覚えています。
あの日、乗ってたら自転車は大破していた事だろう・・・・
地震が起きて社員全員が外へ避難、雪が降る寒い中で一時間以上家族との連絡も取れないまま、余震に怯えながら不安な時間を過ごしていました。

なんとか自宅に帰る事が出来て嫁と次女も無事、福島市に研修に行っていた長女とは夜になってようやく連絡が取れ無事を確認してホッとした。
テレビで見たあの津波の脅威、家や車、船まで流される画面に言葉が出ず、とめどとなく涙が流れた。
なんともいえない脱力感が自分を襲った。
日がたつにつれ事態の重大さが増し、消息がつかめない人々の数は想像をはるかにこえていた。

福島はそれに追い打ちをかけて原発事故が発生しメルトダウン、水素爆発、周りの住民は避難を余儀なくされた。
原発事故はだたの事故じゃない。
当時政府が発する言葉を素直に信じる事が出来なかった(今でもそうだが)
真実を伝えようとするのではなく、伝えまいと苦心している言葉遣いに腹が立った。
政府はありのままの事実をそのまま明らかにした方がいい、国民、福島県民が動揺するのを恐れて真実を伝えないのは我々を愚民扱いすることだ。
「想定内」、「想定外」とはなんだろう。
自然災害はすべて想定をはるかに超えて起こるものだ。
その言葉自体私は違和感を覚える。

自衛隊が瓦礫の中の生存者を救出、遺体を見つけ出している賢明な姿を見て自分の今の力のなさに悔しくて悔しくて、また泣いていた。
あの時ほど自分が自衛隊を辞めずにいたらどれだけ力になれたかと・・・

あれから一年。
日本は、被災地は、福島は自分はどう変わったか。
あの時は日本が一つになっていた。
聞くことが少なくなったが「絆」。
それがあの時は強く感じていた。
瓦礫を受け入れない、雪を受け入れない、花火を上げさせない。
もう一度あの時の言葉を思い出してほしい。

あれから一年。
少しずつ自分も震災前の生活を取り戻している・・・
「震災前の生活を取り戻しただけでいいのだろうか・・・」いつも私は自分に問いかけています。
誰かが言いました。この震災は第二の敗戦だと。
国と国との戦いに負けたのではない、違うものに負けた敗戦だ。
これからも発展と成長を永久的に続けていこうとしているのか。
少し昔に戻ってもそれ相応の人の営みでも良いのではないでしょうか。

放射能汚染の影響が私たちの将来にどれだけ影響が出るのか誰もわからない、見えない不安を一生背負い込んで生きていくことになります。
それが運命ならそれも良い、国はその不安を少しでも取り除く努力をしてほしいと心から望みます。

私は家も仕事も家族もすべて無事でした。
沿岸部の人たちと私のような内陸部の人たち。
同じ被災者でも温度差があるのはわかります。。。仕方がない事。
震災後一時期(今はわからないが・・)、福島の飲み屋、パチンコ屋が繁盛していたと聞きました。
やるせない気持ちをぶつける為に仕方のない事だったのでしょう。
残念ながら私にはその被災者たちの気持ちはわかりません。

少しずつ前向きに生きていってもらいたいと心から願うばかりです。
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先日、鶴岡出張がありました。
昨年震災後のLEGON合力リレーで知り合った宮城のみっささんと久しぶりに会えた。
今年の3月で宮城での勤務を終え故郷に戻るのでなんとかもう一度会いたいと思っていたので嬉しかった。
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仙台の居酒屋で二人で沢山話をした、自転車の話し、震災の話し。
震災は悪い事だけじゃなかった、新しい出会いも沢山あった。
被災地での勤務本当にお疲れ様でした。
また一緒にツーリングできる日を楽しみに、もっと鍛えておきます・・・・w
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居酒屋で石巻の地酒「日高見」を飲んだ。
震災で蔵が壊れ造り酒屋をあきらめかけていたがこの酒の力によって立ち直る事が出来たという。
喉に、そして私の心に沁みわたる味だった・・・・
これが自分の出来る事なんだ。
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もうすぐ春。
今年はツーリングをたくさんしていい思い出を作りたい。
みんなにとってこの一年はどんな年でしたか・・・
by koji_sagara | 2012-03-11 00:51 | 震災 | Comments(0)

仮校舎建設が始まりました

私の町の鏡石第一小学校もこの震災で校舎が使えなくなりました。
今は第二小学校や町の施設を利用して勉強をしています。

学校の校庭に仮校舎の建設が始まりました。
仮校舎ではありますが、生徒が学んだ校舎のそば、走り回った校庭に仮校舎が出来れば生徒も嬉しいと思います。
生徒が教室の窓ガラスに貼った「がんばるぞ 鏡石一小」の張り紙を見るとなぜか涙が出ます(歳とったな~涙腺が・・・)

もう入れない校舎、この校庭で運動会が出来るのは何時だろう。
生徒はどんな気持ちであの張り紙をはったのかな・・・

「頑張れ!!  鏡石一小の生徒!」
by koji_sagara | 2011-06-15 22:11 | 震災 | Comments(0)

あまりにも酷い風評被害

インターネットを見ていると、日に日に福島に対する風評被害が増えてきている。
子供は特に残酷です。
大人が正しい知識を子供たちに教えなくてはいけません。
大人が不安を抱けば子供も不安になり・・こんな事態になるのです。
一部の方だと思っていますが、とても悲しいです。

原発で避難している方々は福島難民となってしまいました。
家を失い家族を失い仕事を失い・・・あとはこの仕打ち。
CMで「日本の力を信じている」・・と言っていますが、これは戦後を生きのび、昭和の高度成長期を築き上げた先輩の力があれば・・・もうその影響力はいったいどれぐらいあるのでしょうか。
今の政治、東電にどれだけ期待したらいいのか・・

東北の人間は辛抱強い・・我慢強い。
言葉少なく黙々と辛抱強く復興に進む東北人。
いったいいつまで我慢できるのでしょうか・・・言いたい事は言ってもらいたい。
頑張れ!とは言いたくない。(もう頑張っているのですから)

by koji_sagara | 2011-04-20 16:19 | 震災 | Comments(0)

頑張ろう!! 福島

地震にも、津波にも、原発にも、

そして風評にも負けるな福島!!
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by koji_sagara | 2011-04-20 15:09 | 震災 | Comments(0)

東日本大震災の記憶

自分が生きている間にこの様な惨事を経験するとは、今でも信じられない気持ちです。

忘れないうちにあの日の出来事を記録しておきます。
3月11日(金)
3月11日(金)PM2:46頃、東日本を襲った地震、マグニチュード9.0と世界的にみても3番目の巨大地震が発生しました。
当日私は、会社で仕事をしていました。
工場が本社工場(第一工場)、第二工場(TSK本社工場)、東工場(TSK)と3つあります。
私はその時間東工場で作業をしていました。
その日、キーパンチャーが休暇をとり休みだったので空いた時間に作業日報の入力作業をしていました。
急に携帯の地震緊急速報(アラーム)がなり2~3秒後に大きな揺れがありました。
直ぐにおさまると思いパソコンを抑えていましたが一向に揺れが収まらず大きくなるばかり、天井から埃が落ち、事務所のドアが外れかけてきたのであわてて事務所から非難し現場の通路にいったんでました。
通路の床に罅が入りはじめました。
東工場の従業員はほとんど外へ避難して工場を見ていました。
私は再度事務所へ入り電気ストーブがついているのに気づいて消してから外へ避難しました。
殆ど立っている事ができず金網につかまって揺れがおさまるのを見守っていました。
揺れがどれぐらい続いたのか良く時間はわかりませんが長かった。
揺れがおさまったのであわてて本社工場の事務所へ行きました。
本社工場の従業員は全員事務所前の広場に避難してけが人はなかったようです。
その後も何度か余震が続きなかなか事務所へ戻れず全員寒い中避難していました。
自宅が心配だったので携帯で電話するが繋がらない、下の子が一人でいたので心配でした。
1時間過ぎて余震は続くものの現状を把握するために各自仕事場へ戻って行きました。
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電算室はガラスが割れ、棚関係は倒れ本やファイルが散乱、机のパソコンも床に落ちたり歩く隙間もないくらい散乱していました。
マシン室のホストコンピューターはかなり動いていたが、地震対策をしていたため倒れてはいませんでした。
サーバーラックも倒れずに済んでいました。
ラック以外のサーバーは数台倒れていました。
棚の備品はすべて床に落ち、用紙を収めていた棚も倒れ帳票が散乱、フロアー(事務所)の天井に設置していたエアコンの数台が剥がれ落ちケーブル一本でぶら下がって危険な状態。
倉庫の1トンの金庫もズレて危険な状態なので立ち入り禁止です。
食堂へ行くと廊下が水浸し、トイレも使える状態ではなかった。
まずはホスト、サーバー関係の動作確認をしました。
ある程度床に散乱した物を横にどかし、ホスト、サーバーを安全な状態に戻しました。
ホストコンピューターとサーバーが稼働中に避難したため、まだ電源が入っている機器は一旦シャットダウンして再起動し動作確認。
ホストは異常がありませんでした。
サーバー2台の電源があがりません。
ネットワークやパソコン、その他の機器については現在のところ確認をしている余裕がありませんでした。
工場長の指示で今日は全員帰宅せよとの連絡があり、私は東工場が心配だったので帰宅する前に東工場の現状を確認しました。
3階の昔電算室で使用していた部屋は壁、ガラスが全て壊れて、廃却するパソコン、プリンターなどが瓦礫の下でした。
設置していたネットワーク機器も瓦礫の下でしたがラックに入っていたため破損はありませんでした。
この部屋に何時もロードバイクで通勤した時は自転車を入れていたので、今日乗ってきたら多分壊れていたでしょう、本当に良かったです。
東工場の事務所は天井が落ち、食堂の巨大なエアコンも天井から落ち、古い書庫もひどい有様。
3工場のうち東工場が一番被害が酷かったです。
3階で作業していなくて良かったと思いました。
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東工場を確認して自宅へ帰宅途中、道路が何箇所か陥没があり迂回して1時間かけてようやく自宅にたどり着きました。
妻は自宅から会社が近いので既に戻っていました。
家の中は台所の食器棚は倒れ中の食器はすべて床に散乱し、食器棚のガラスも一部割れていました。
茶の間の縦型のラックも倒れ物が散乱。
テレビを載せていたコーナーボートは事前にボードの下に滑りやすいように器具を取り付けていたのが幸いして倒れていません。
買ったばかりのテレビも無事でした。
二階のタンス部屋のタンスはすべて前に倒れ壁を少し壊していました。
鏡台は壊れていました。
子供部屋の本棚は倒れ本が散乱、私のコレクションのDVD,ブルーレイを収納していたラックもすべて倒れ500枚のソフトが散乱。
映画のパンフレッドを入れていた本棚からパンフレッドが全て床に落ちていました。

上の娘は今日福島市で会社研修がありその最中に地震に遭遇しました。
なかなか連絡が取れず心配していましたが、メールで無事を確認、5時間かけて自宅に到着しました。

片付けは台所の壊れた食器を先に片付け、茶の間を片付けて取り合える寝る場所を確保しました。
子供たちも片付けを手伝っていましたが、先に就寝させて妻と二階を片付けました。
片付けが終わったのは夜中の12時を回っていました。
余震が続く中今日からしばらくは一階で寝る事にしました。

3月12日(土)
今日は自転車(クロス)で出勤しました。
どうしても自宅の片付けが終わらない社員は出社していない模様です。
各職場で被害状況を確認しました。
3工場のネットワークは何とか無事なのでホッとしました。
電源が入らなかったサーバーも稼働確認して問題なし、一台異音がするので後日CEに連絡しメンテ依頼予定。
第二工場は比較的被害が少ない模様です。
これだけ近くにある工場なのに被害の大きさが全て異なっています。
地盤や建物の構造などて差が出たのでしょうか。
お昼は総務課がパンとおにぎりを調達して済ませました。
今日は3時で終了、今後の対応は明日連絡するとの事です。
結局3月20日(日)まで自宅待機となりました。
製造ラインがまだ復旧していないのでしょう、保全・技術と製造の一部社員で復旧作業をしていると思います。

3月13日(日)
自宅の後片付けもひと段落したので、午後からクロスバイクに乗って近所と隣町の須賀川の被害状況を見てきました。
全体的に瓦屋根の家屋の被害が多かった。
道路は至る所で陥没、罅が入っていて通行止めや片側通行が多数あり。
私の住む鏡石町駅前通りも大きな被害がありました。
歩道のマンホール部分が飛び出したのか、周りが陥没したのか、マンホールがあがっていました。
至る所でその現象が見られます。
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全壊した家もありました。
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隣町の須賀川も震度6強の揺れで大きな被害が出ています。
須賀川の街中通りの綺麗な歩道もブロックが盛り上がりバラバラです。
やはり古い家屋は全壊、半壊がありました。
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ガソリンスタンドは長蛇の列、締めているお店もあります。
近所の方々もガソリンがないと嘆いています。
この日もたびたび余震が続き熟睡できませんでした。
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津波によって家族や家を失った被災者に比べたら私は本当に恵まれています。
家族も無事、家もある食料も水も確保できるのですから。

昨年、宮城メンバーと走った仙台から奥松島のあの風景は今どうなっているのでしょう。
一緒に走ったオカノボリさん、さと☆ヒロさん ご無事でしょうか。
アクセスが3日以上ないので心配です。
またあの奥松島の美しい風景を走りたい。
私は多賀城に4年、仙台に1年住んでいました。
第二の故郷と思っています、早く復旧、復興して頂きたい。
私も少しでも力になりたいと思っています。

是非、LEGONメンバーと復興ツーリングをしてみんなで笑いながら走りたいと思う。
その日が早く来てほしい。
by koji_sagara | 2011-03-16 15:29 | 震災 | Comments(0)